日常#8 コロナ禍における立ち振る舞いで価値観が可視化される時代

こんにちは、りっきーです。

 

コロナ禍開始から早1年がゆうにすぎております。

 

世間は感染拡大で騒がしく、コロナ禍も1年も経つと新しい生活習慣がすっかり馴染んで、かえってコロナ前の映像を見ると少し違和感を感じるほどになりました。

 

まぁそんなこんなですっかり様変わりした世の中ですが、特にこのコロナ禍で強く感じるようになったのが

友人や知り合いの価値観が可視化されること

です。

 

最初に申し上げておくと、外に飲み歩きに行ってる人は批判したいわけではありません。

現状、個人の行動制限に関する法令はありませんし、行政からの自粛要請もお願いベースであることがほとんどです。

だから、自粛しようが飲み歩こうがはっきり言ってその人の自由だと思います(当然自分の言動の責任は自分で取ってほしいとも思いますが。)。

 

そのうえでの話になりますけど、このコロナ禍、特に東京においては緊急事態宣言の中で、あえて飲酒の提供をしている店を見つけて、そこに行くような知り合いを見たり、一方でコロナに対する0リスクを追い求めて一歩も外に出ないような生活を徹底しているような知り合いを見聞きすると、「この人はリスクに対してこういう価値観を持ってる人だったんだな」っていうのが強くわかりますよね。

 

また、コロナに対して悲観的・楽観的問わず、根拠のないデマを信じて発狂してる友人や知り合い、かねてからフォローしていた有名人などを見ると、有事の際には人の価値観や情報に対するスタンスがはっきりと顕在化するなぁと思います。

 

戦争も感染症もない平和なときは、誰しもが共感できたり笑いあえたりする最大公約数的なテーマで会話していて、価値観が合うんだ!と勘違いしていただけで、実は全然リスクや情報に対するスタンスが違ってたんだなというところが浮き彫りになるんですよ。

 

コロナ禍の言動によってその人の行動基準や価値観があぶり出されて、今後つるむ人はふるいにかけることができてよかったなという思いもある一方

考え方が根本的に違っていたんだなというもの悲しさも結構感じます。

 

まあこればっかりは、個々人の状況によってコロナのリスク度合いも違いますし、個人最適をとるのか全体最適をとるのか見たいな論点も人それぞれスタンスがあっていいはずですから、一概にひとくくりに論じることはできないんですけど。

 

皆さんもコロナ禍における周囲の人間の言動に注目してみると、今後の人間関係に役立つかもしれません。

あ、ちなみに観察するにとどめるのが吉で、人の言動に対して意見するのはやめときましょう。トラブルの元なので。