#7 好きこそ物の上手なれ
よく
「視野を広く持ちなさい」とか
「平社員も社長になったつもりで仕事をしてほしい」とか
いいます。
これは、細かい、個別の一部分に捉われて、全体の目的を見失ってはいけないよ、という意味だと解釈してます。
これには同意。
同意するけども、なかなか簡単にできるもんでもないと思います。
多分、視野を広く持ったりするには、その仕事を好きになる必要があると思うんですよね。
正確には仕事の時間外にも、業界のことをチェックしたりする必要がある。
例えば自分が大好きなゲーム業界にいたとしたら、そりゃあ他社さんのいろんなゲーム、やりますもん。
「あーこういう仕様にするとここの操作性が良くないなぁ」
とか
「情報を詰め込みすぎるの画面がみにくいなぁ」
とか自然とチェックするべきポイントも見えてくるでしょう。
もっというならゲーム業界全体がいい方向に向かってくれるといいなぁと思って、自社の利益だけじゃなく、より良いゲーム体験を届ける為に、ユーザーに向けて仕事をすると思います。
そうすると自然に視野も広くなるし、めんどくさがられるかもしれないけど、結果的に質の高い仕事ができるようになる。
そういう姿勢がないと、給料さえ貰えれば良くて、ユーザーのことなんてどうでもいいけど出世したいから上司のために仕事をする、みたいになるわけです。
まぁ、少なからず私もこれに当てはまることふありますが。
こうなってくるとターゲット層が誰かもわからず、上司の目だけを気にして仕事して、結果質の悪い仕事をして損をする。
そして給料が下がり人が抜けて…と負のサイクルに突入です。
まぁ、こういう働き方が許されているのも、終身雇用・年功序列という
「頑張るだけ損じゃん」みたいな制度の弊害だと思うんですけどね。
とはいえ成果主義が万能なわけでもないし。
難しいです。
少なくとも視野を広げるためにも、自分の仕事を少し好きになってみる、興味を持ってニュースくらい見てみるようにしたいです。
#6 なんとかとはさみは使いよう
仕事の話。
個人的に、みんな自分の意志でその道を選んで、その道のプロとしてご飯を食べてるわけだから、互いの仕事に対して批判や指摘をするのに遠慮はいらないと思ってます。
でも、実際仕事は「人間」がやるものだから、
頭ごなしに否定したり、指摘が多すぎると気がめいってパフォーマンスが下がってしまうわけですよね。
それは自分も然りですが。
なんて人間は厄介なんだ。。。
ということで、
理屈では遠慮はいらなくても、
実際のところは、いろいろ他人のモチベーションをコントロールすることが必要なわけです。
・1つ指摘するなら2つ褒めろ
・批判するなら提案もセットで
とかとか。
まぁ、こういうのも手間がかかるんだけど。
時には提案が浮かばなくても明らかに間違ってる場合は、指摘しなくちゃいけないときもあるし。
みんなのモチベーションが下がるのも困るけど、
質の悪い仕事をするのは結果的にもっと困るわけなので、
他人のモチベートをしつつも、どうしてもしょうがないときはズバッとストレートに言った方がよかったりもしたり。
理想はバランスなんですけど!
ちなみに、関連してそうでしてない?かもしれないけど、セールスフォースのcmがとてもよかったので紹介します。
#5 こうあるべき、なんてない。
結局自然体で生きるのが一番な気がしてきた。
本とか読み漁って、合理的な考え方はこうである、とか、こう言う人格にならねばならない、的なことをずーっとこねくり回して、偏屈な人間になりつつあるんだけど。
そーいうの全部取っ払って自然体に過ごしてる人が一番楽そうだし、結果的にかっこいいよね。
所ジョージとか、あと誰か思いつかんけど。
家族とか身内の人間を大切にしてれば、後は自分の思う感性のまま生きればいいんじゃないかなぁとか思いはじめたり。
#4 文章を書くことのむずかしさ
今まで、それなりに文章を書いてきたように思います。
学生時代のSNS上の日記のようなものから始まり、社会人になってからもこういうブログを書いているので、相対的に人より文章を書いているのでは?と勝手に思ってます。
ただ、何回やってもむずかしい。
テーマを決めることがそもそもむずかしいし、
それに自分の思っていることを偏りなく、客観的に伝えるということはもう不可能に近いのではないかとさえ思ってきています。
誤解の内容と説明をたくさん入れると、すぐに文字数がとんでもないことになるし、なにより自分で何を言いたいのかわからなくなる。
かといって必要最低限の言葉で書くと、どこかぶっきらぼうになるし。
まぁ何がいいたいかというと、客観的な文章を書くなんて無理だ、ということです。
当然ですが、あくまでブログでの自分の文章を「僕はこう思います」というだけであって、なにかに対して断言するものではないですし。
当然異論だってあるでしょうし、異論を認めるどころか、大歓迎なわけです。
なので、客観的じゃなくたって、いいじゃないかと。
文章はその人自身の主観で構成されます。
今後は、多少誤解があったっていいじゃないかという心持で、好きなように文章を書いていきたいなぁなんて思う日曜の9時でした。
忙しない毎日を過ごしていると、ついつい単純な事実や本来の目的を見失いがちですが、常に原点に立って、素直な立ち振る舞いをしたいものです。
#3 「おもてなし」の弊害について思うこと
日本の美徳といわれることが多い、「おもてなし」の精神。
Weblio辞書によると
おもてなしとは、心のこもった待遇のこと。顧客に対して心をこめて歓待や接待やサービスをすること
らしいです。
自分も素敵な文化だなぁと同意する点も多い一方で、かなり弊害もあるかなと。
心を込めてサービスをするのは結構だけれど、本来のそのサービスに想定されてる期待値を上回って当然、みたいな風潮が、かなり問題があると思ってます。
特に効率性の観点から見て。
欧米だったら、賃金以上の働きをした人には、チップという形で報いる方法があります。
だから、時給千円で働いてても、それ以上のチップをもらえるかも?ということでサービスの向上に努めるわけです。
期待以上の働きをすると、金銭という形で報われる。
とっても健康的な構図。
(まぁ現実は、チップの支払いはほぼ強制的のようだけど…)
一方、日本だと、そういう制度がないから、それ以上の報酬が見込めないのに、過剰にそれ以上の働きを求められる。
それに応えないと「無礼な奴だ」とさえ言われる勢い。
付加価値に応じてお金が発生する制度になれば、良いサービスはもっと高値で売れて、安く悪いサービスは淘汰される、という経済的に発展すると思うんですけど。
確かに自分が働く側であれば、貰うお金より価値を生み出してやろうと思うだろうし、
雇う側からしても、そういう人を出世させることは間違ない。
そういう心意気があることそれ自体は、たしかにおもてなしの文化として褒められるべき点があると思う。
けど、それが当たり前になるのはやはりよろしくないと思います。
ここらへんは、「お客様は神様だ」と客側が言ってはいけないのと同じですね。
サービスの提供者側がそのクオリティアップを追求するのは美しいことだけど、そのサービスを享受する側がそれを当然と要求するのは間違いである、という話。
貰った報酬に見合う最低限の仕事でも本来よいはずだし、それ以上の働きでもいいはず。
働き方は人それぞれであるべきだし、もしそれで何か不都合があったとしても、基本は人間お互い様なので、温かい目で見守りましょう、という話でした。
#2 ピクミンブルームにみるご褒美と継続の関係について
いやはや任天堂恐るべし。
2021/11/1(月)に配信されたピクミンブルームで、最近たくさん歩いています。
いわゆる「位置ゲー」と呼ばれるもので、スマートフォンなどの位置情報を使用したゲームデザインです。
有名なものでは、
・ドラゴンクエストウォーク
・駅メモ!
などでしょうか。
本作は、ポケモンGOと同じく、2015年にGoogleの社内スタートアップから始まり、独立したナイアンティックと、任天堂が拡張現実(AR)を使って共同開発したゲームです。
プレイして感じたことは
ポケモンGOと比べてゲーム感がないということです。
どちらかというと、ライフログ、日記のようなものに近い。
ポケGOは歩いて、ポケモンが現れたら立ち止まり、モンスターボールを投げてゲット。
あるいはポケモンジムについたらそこでバトルを行う、というかなり歩行中に操作が求められるゲーム性になっているかと思います。
が、ピクミンブルームは、アプリを起動して歩いていさえいれば(ヘルスケアアプリなどから歩数情報の共有を許可すればアプリさえ起動しなくてもよい)、ピクミンが生まれる苗が育ち、また連れ歩くピクミンがアイテムを拾っています。
家に帰ってからアプリを見て、苗を引っこ抜いたり、ピクミンの拾ってきたものを回収すればいいだけです。
かなりゲーム的な操作を省いているなぁという印象を受けます。
また、何より特徴的なのが、その日の絵日記のようなものを一言コメント付きで記録できること。
その日撮った写真や、又はピクミンが映り込んだ各地の写真とともに、ライフログが残せます。
ここらへんの歩行中の操作をできるだけ省いて、歩くことにフォーカスさせる、という仕組みは新しいなぁと思いました。
まぁこれもピクミンという魅力的なブランドがあってこそできることなのかもしれませんが。
以前、任天堂の前社長、故岩田社長がこんなことを言っていました。
人は、まずその対象に対して、自分のエネルギーを注ぎ込むんですね。時間だったり、労力だったり、お金だったり。そして、注ぎ込んだら、注ぎ込んだ先から、なにかしらの反応が返ってきて、それが自分へのご褒美になる。そういうときに、自分が注ぎ込んだ苦労やエネルギーよりも、ご褒美のほうが大きいと感じたら、人はそれをやめない。だけど、返ってきたご褒美に対して、見返りが合わないと感じたときに、人は挫折する。
つまり、
注ぎ込んだエネルギーより、それによって返ってきたご褒美の方が大きければ、人は継続できる。
ということをおっしゃってます。
「歩くことは健康によいのだ。だから歩け」といわれても、漠然と一人で歩くのはさみしいですし、つまらないので、みんな歩きません。
自転車だったり車だったり公共機関のような利便性の高いものを選ぶようになるのは自然なことでしょう。
でもそこに、
歩くというエネルギー以上に、ご褒美を与える仕組みを仕込んでおくことで、
みんなが好んで歩くようになるわけです。
具体的なご褒美は
・ピクミンが増える
・人と繋がれる
など様々です。
ゲーム人口を増やしたい。そしてゲームを通じて人々の健康課題を解決したい。
そのような試みをしている任天堂さんはほんとにすごいなぁと思います。
自分のやっている仕事・志がいかに小さいことか。身に沁みます。
岩田前社長はポケモンGOを長年温めてきたこともあり、ピクミンブルームも岩田前社長がいなければ実現しないかったかもしれません。
あったこともないけれど、改めて岩田前社長には感謝申し上げたいところです。
妻と一緒に歩いてみたり( ^ω^)・・・
#1 ディアブロ3に見るハクスラの神髄
友人のひかる(@Fujiwarach)さんから紹介されて最近遊んでいるディアブロ3。
本シリーズはもともと有名ですが,当初はプレイするのを尻込みしていたのを覚えてます。
理由としては,
・チュートリアルが比較的不親切な洋ゲー自体をあまり遊んでこなかったこと
・ハクスラと呼ばれるシステムも今まで遊んでこなかったこと
らへんでしょうか。
少しだけ説明を補足すると,ハクスラとは,ストーリーなどではなく,戦闘そのものがゲームの主目的となっており,戦闘を重ねてキャラクターを強化し,更に強い敵を倒す…というゲームシステムのこと
話を洋ゲーに戻しますが,
最近は比較的UIもよく,親切なものも増えましたが,少し前の洋ゲーといえば,プレイヤーは何の説明もなしにゲーム世界に放り込まれ,さぁ遊んでみろ!といわんばかりのものばかり。
プレイして少しずつシステムがわかっていく設計ならまだしも,たいていはそうじゃありません。
なのに最初から,「システムのことはもうわかってるよね?」という前提で始まる。
あの感じが苦手でした。
2012年発売の本作も例に漏れず不親切です。
正直友人と一緒にプレイしなければ,ある程度進めて放り投げていたかもしれない。
ですが進めていくとあら不思議,さすがに金と時間を膨大につぎ込んで作っている超大作だけあって,上記の不満点を補って余りある面白さがありました。
プレイしていて思ったのは圧倒的なカスタマイズ性。
通常のストーリークリアまでは,他のRPGとあまり変わらないどころか,個人的には話も割かし単調だし(洋ゲー特有の語り口が頭に入ってこないのもありますが…),アクション等も大味で,可もなく不可もなく,という感じ。
でも,ストーリークリア後,どんどん要素が解放されてくると,ゲーム性そのものが一変します。
レジェンダリー武器という,いわゆるレア度の高い武器には固有のスキルが付与されており,そのスキルをその武器から抽出し,パッシブスキル化できるんです。
固有名詞をたくさん使ってしまい,混乱するかもしれませんが,分かる人には分かるでしょう。
そしてこのレジェンダリー武器は非常に数が多いですし,自分の戦法やスタイルによって,どのスキルをパッシブ化するか,どの装備と組みあわせるか,というカスタマイズの選択肢が膨大にあります。
そうやっていくと,どんどん攻撃力が強くなっていき,最初はダメージが3とか4とかだったのに,今では一発で10億(=1,000M)単位で出せます。
グレーターリフトと呼ばれる,本作のやりこみ要素の上限レベルが,現段階で150Lvありまして,僕は今30Lvがいところなので,このダメージ量はまだまだ通過点ということ…
これは沼ですね…
楽しいのも結構ですが,やりすぎ注意!寝不足注意!ということで,家族へのサポートが後手に回りがちなので,バランスを取りながら,ぼちぼちディアブロの世界に潜りたいと思います。